【体験談】ダウン症の診断が…。羊水検査までの流れとその結末とは?

2019年9月25日

筆者は現在3人の子供に恵まれていますが・・最初の子供は死産で亡くしています。その子はダウン症でした。

その時に経験した羊水検査への流れと、死産の対処、そして病院から受けたダウン症はなぜ起こるかの解説を合わせてご紹介します。


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妊娠初期にダウン症の診断

今から10年前の12月6日、妊娠10週目の時のこと・・。
家から近い個人経営の産婦人科にかかっていました。

最初の妊娠がわかった私たち夫婦は大喜びでした。

ところがその2週間後に撮影したエコーを撮影していた先生の顔が曇ります。その後、そのエコー画像見せながら、私にこんなことを言いました。



「胎児の首の後ろに3ミリ腫れがあります。ダウン症の可能性がありますが、羊水検査をしますか?」



驚いて何も言えずにいた私に先生は続けます。「もし希望されるなら、うちでは出来ないので国立病院に紹介状を書きます。もしダウン症で堕胎を選択する場合は、逆に国立病院では出来ないので我々で行います。」

何を言っているのか・・その時は頭がパニックでわかりませんでした。どういう意味かと言うと・・羊水検査は、時に流産を引き起こします。そういったこともあるので、大きい病院でないと出来ません。(でもそれは交通事故で死ぬ割合よりも低いので気にしていては出来ませんがね。)逆に堕胎となると、国の機関になる国立大学病院では命を奪うことは出来ないとのことで、通っている産婦人科で行うのです。

話は戻りますが・・私は検査することを選び、当日の15時に予約をして貰いました。

では、その後の流れを一気にまとめましたのでご覧下さい。

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羊水検査への流れ&その結末

①大病院で最初の検査

【12月末:妊娠12週あたり】

お昼ご飯を食べ、国立病院へ向かった私。
その時に先生とお会いして何をしたかと言うと・・



①大学病院でも再度血液検査をし、内診を受ける。
②先生から、どんな状態か、そして羊水検査の説明を受ける。




この時に再度、年が開けたら羊水検査の日程を決めるのでまた来るように言われます。

検査は胎児を包み込む水である羊水をとって行われます。羊水の中に胎児の細胞が含まれているので染色体検査が出来ます。しかしまだ妊娠10週では羊水が少なく、ある程度の量になるまで待つ必要があるのです。

すぐに検査出来ないのはそういう理由からなのです。

でもこちらとしてはすぐに検査して欲しいわけです。それを感じ取ったのか「この3ミリの腫れは引くることもある。その場合はダウン症ではないからね。だから深刻にならないように。」と励まして下さいました。

それで少し気が紛れお正月を迎えたのです。

②2回目の検査

【翌年1月:妊娠14週目】

翌年の1月の2週目、私は再び国立病院に向かいました。



そこで再度検査をしたところ、首の後ろの腫れが3ミリから7ミリに増えていました。



先生が「う〜ん、、これはダウン症の可能性が大きくなってきたなあ・・」と呟き、私はショックだった事を覚えています。

今すぐ検査をしてほしい!
でも、まだまだ羊水は足りない時期なので出来ない・・。

検査は翌月の2月初め(妊娠18週)にすると言われ、この日は予約だけとって帰宅しました。

③羊水検査当日

【2月上旬:妊娠18週目】

この日は朝から病院に向かい、手術室に入りました。



①エコーで赤ちゃんの位置を確認
②お腹にまず麻酔を打つ
③エコーを見ながら注意深く注射器をさして羊水を抜き取る。



麻酔が聞く前に刺し始めたので、最初は感じたことがない痛みに驚きました。でもすぐに麻酔が効いてきたので大丈夫でしたよ。

施術自体はあっけなくすぐに終わります。記憶では、その後2、3時間はそこで寝ていなければなりませんでした。その後、日帰りで退院します。

結果が出るまでに3週間かかります。しかし中間報告は1週間後に見ることが出来、これでダウン症かどうか判断出来ると言われました。

ということで、1週間後に予約を入れ日帰りで病院を去りました。

④中間結果は?

【2月中旬:妊娠19週目】

私たちは夫婦で向かいました。

先生が染色体が書かれた表のようなものを出し説明してくれます。それで性別もわかるのです。



さて結果はというと・・・ダウン症でした。(21番目の染色体の数が2本ではなく3本ありました。)



先生に、どうするかと聞かれた私たち・・実は私と主人はダウン症だった場合の事を話していませんでした。主人は自分の気持ちではなく私の考えを尊重しようとし、私はどうするべきが答えが出せないままで来たのです。

そんな理由から何も言えず黙っていた所、先生がこう言ってくれました。

「Aさん、あなたがもしも40才で初産だったら僕は何も言わない。でもあなたはまだ若く、妊娠の可能性がある。だから言うのだけど・・いいんだよ。堕ろしてもいいんだよ」

命に関わる話です。これを聞いて不快だと思う方もいるかもしれない。でも追い詰められていた私には・・旦那にイエスともノーとも言えない私には救いの言葉でした。

それでもその場は返事をせず、3日後に返事をする旨を伝えました。

⑤あれ?ツワリがなくなってる・・

【2月中旬:妊娠20週目】

その2日後の午前、私は仕事をしていました。

堕胎は22週までにしなければならないという法律があります。今晩主人と決めて、明日先生に言わなければ・・と思いながら同僚とランチに行きました。

その時に異変を感じます。



あれ?え!?酷いツワリでご飯の匂いも食べることも苦痛だったのに、匂いが嫌じゃない・・さらに美味しくご飯が食べられる!!全く気持ち悪くない!



嬉しさと共に、体の急激な変化に戸惑いました。前日まで気持ち悪く倒れていたのに・・突然なぜ!?

⑥お腹の中で死産・・

翌日病院に行き検査をすると・・私の胎児は死んでいました。

ツワりをどれだけ恨んだか、死んだほうがましではないか?と言うくらい苦痛だったけど・・



ツワリは「生きてる」証拠だったんだ・・・
ツワリって子供が元気な証明書なんだ・・
ツワリの凄さに気づいた私は呆然としました。



ちなみに後で先生から聞いた話では・・ダウン症の場合心臓が弱いので、お腹の中で死んでしまう子も多いそうです。

話は戻りますが、そんな訳で急遽、産婦人科に向かい緊急入院することになったのです。

⑦産婦人科で出産の準備

中間報告から3日後に死産していることが判明しています。いつお腹の中で死んだかわからない訳です。死んでしまって長い時間が経ちすぎるとその毒素で母も病気になってしまうと先生に言われました。

ですから急いで取り出す必要がありました。

取り出し方は出産形式で産む方法で行いました。その流れはこちら・・



①子宮口が開きやすい薬を飲む
②塞がっている子宮口をこじ開ける為、タンポンのようなものを無理やり何本もねじ込む。
③②で開いたら、さらに追加してもっと広げる。
④分娩室で麻酔をかける
⑤意識がない中で先生が取り出す。



上記②は人生一の激痛でした。あれに比べたら出産の痛みなど大したことない!閉まっている子宮を無理やりこじ開けるって強烈です。出産では叫んだ事のない私も、この時ばかりは大声で叫び震えました。

その後はスムーズで、最後は麻酔のためどうなったのか覚えていません。

⑧死産した子供を出産

知らない間に病室のベットで寝ていた私。私の意識が戻るまでに間、今度は主人が頑張ってくれました。



①死んだ胎児に会った。
②すぐに市役所に死亡届を出し行った。
③火葬の業者や埋葬先のお寺の手配を終わらせた



死産した胎児に会うか会わないか・・これは自分で決めることが出来ます。死んで時間が経ちすぎた場合、肌がボロボロで出てくることがあります。その場合は、身内が母に合わせるか判断します。

私は会いました。死んで間もなかったようで、我が子は綺麗な状態でした。胸の前で腕をクロスしていました。指が5本に分かれていました。小さすぎる我が子でしたが、人間そのものでした。主人は「可愛い、こんなに可愛いんだね」と涙をボロボロ流しました。私も泣きました。

主人には本当に感謝しかありません。

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ダウン症検査と母体血清マーカー診断

最後に・・・
国立病院でカウンセラーから説明を受けた内容をこちらに書いておきます。

35歳で1/264、40歳で1/100、20歳で1/1600・・
最初にダウン症が生まれる割合を教えて貰った数値がこちらです。(当時2009年)

これは卵子が古くなるから起こることで、母親側のせいでダウン症は起こると言われました。高齢出産になればなるほど可能性が高くなる訳です。ちなみに、遺伝性の病気は男性側の事情で子供に遺伝するそうです。

さらに・・

私のようにエコー画像でダウン症と分かる場合もありますが、エコーに首の腫れが出ない場合もあって生まれないとわかりません。検査しないと分からない訳です。

検査方法は母体血清マーカー診断と羊水検査があります。前者だと、安くて血液採取と簡単ですが確実ではありません。1/1000だとか、1/20といった風に出てくるからで、これってどちらも可能性があるわけですから。それに比べて後者は、値段が高い(2009年当時で12万円弱)ものの確実にどちらか分かります。

気になる方は、金額ではなくどちらが良いかで判断できるといいと思いますよ。

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