【※肉声あり】日本航空123便墜落事故直前の機長の叫びが刹ない…
1985年8月12日、日本航空123便墜落事故から32年。
墜落後、操作が効かなくなったコックピットでの様子がボイスレコーダーに記録されていました。
そのボイスレコーダーをお聞きください!
機長と頑張った証拠
1985年8月12日、日本航空123便墜落事故から32年が経ちます。
8月が来るたびに、また遺族の方々がクローズアップされることでしょう。
そんな中、今回はその飛行機の操縦をしていた機長とその家族をクローズアップしたいと思います。
機内のボイスレコーダー
墜落前、飛行機がおかしくなってからのコックピットの様子はどうなっていたのか気になりませんか?
↓↓↓事故機の機長を務めていた高濱さん。
【出典:http://heaaart.com/post/180485】
事故直前、高濱機長がなんとかしようと副操縦士と懸命に操縦している様子がボイスレコーダーに録音されていました。
でもこのボイスレコーダーが発表されるまで・・機長は人殺し扱いでした。
当然、機長の家族はひどいバッシングを受けましたが・・
ボイスレコーダーを公表したおかげで、操縦室では相当頑張っていらっしゃったことがわかり騒ぎは落ち着きました。
ではその時の生の声をどうぞ!
機長:まずい 何か爆発したぞ
機長:あたま(機首)下げろ がんばれ がんばれ
副操縦士:コントロールがいっぱいです
・・聞いているだけで恐ろしいくらい緊迫感が伝わってきますね。
機長も声を荒げて、言葉遣いも荒い・・とにかく焦ってどうしようもない・・
これはダメかもしれんな・・と悲痛な声を振り絞っている機長のつぶやきが忘れられません。
この機長、一人娘がいて父でもありました。
高濱機長の娘・洋子さん
余談ですが、乗客と共に命を落とした高濱機長にはお嬢さんがいました。
実は洋子さん、まさかの・・日本航空の客室乗務員として30年たった今でも働いています。
【出典:http://heaaart.com/post/180485】
日航機墜落事故が起こり父を亡くしたのは、18歳の時。
事故直後で、墜落事故の原因が発表される前から、洋子さんの自宅には・・
「519人を殺しておいて、のうのうと生きているな!」など、たくさん電話がかかってきたそうです
「その度に母は、見知らぬ嫌がらせの電話にもきちんと応対し、
「申し訳ございません」「申し訳ございません」と、
ただそれだけ何回も繰り返しておりました。
機長本人も亡くなっているにもかかわらずクレームの嵐。
そしてその相手に平謝りするお母様の苦しさは想像を絶するでしょう。
そんな世間のまなざしに変化が起きたのは、前述のボイスレコーダーが公開されてから!
『本当に最後までがんばってくれたんだね』『ありがとう』という言葉を、ご遺族に言われるようになったそうです。
「父を誇りに思う」
洋子さんの言葉・・様々な苦悩を乗り越え発せられたこの一言は、とても重みがありますね。